不登校について
不登校児支援スクール │ ネバー・マインド▶に電話03-5750-1741して、具体的に聞いてみました。ご参考になれば幸いです。
最近は、不登校の方が増えてきて、当院だけでもお悩みの方は、毎年5~6名おられます。
この文章の文責は私にあります。ただ、この分野は私の専門外なので、以下の文中に間違いがあれば、お許しください。
このような状況では、正解は一つではありません。
それぞれのご家庭にそれぞれ別の問題集が配られたような状況です。
ですから、お子様と親御さんの状況に合わせて、できることから少しずつ取り組んでいくのが良いように思います。
不登校になるお子様の場合、お子様自身に自己肯定感が低い場合があるそうです。
ポイント1:自己肯定感UP
ですから、何か得意なこと(例えば絵を描くこと、感覚が繊細であること等)を とにかく称賛し、突破口を探すのが良いようです。
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焦らずに時間をかけて、お子様の自己肯定感が高まるまで励ます。
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お子様の元気が出てくる
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ここで初めてやりたくないことにアプローチする。
ちなみに、当院の矯正治療を受けられた方は、皆さん自信を持って前向きにな人生を送っておられます。
このビデオは必聴です。
ポイント2:親御さんの行動(声掛け)
「学校に行けないことは良いことではない」というのは、ご本人は良くご理解されているそうです。なので「学校いきなさい」はとりあえずやめといた方がいいようです。
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親御さんの願望による子どもさんの未来というより、お子さんが進む未来が親御さんに見えていることが大事であり、親御さんご自身がご自分の子ども時代を振り返り、何らかの気づきを得ることも大切だそうです。親御さんが過去に折り合いをつけて、幸せになると子どもは良い方向に引き寄せられる傾向があるそうです。
不登校が長引くことによる時間の壁
学校との関係を良くして行きやすい場所にすることが大事だそうです。
担任、子ども、親でチームを組めたらいいが、もし担任が難しい場合は、学級主任あるいは校長先生でもいいそうです。
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それも難しい場合は、転校も視野に入れる
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転校も難しい場合はフリースクールを検討する。
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まずはこのPDFをお読みください→http://hs-nevermind.org/files/pamphlet-2018.pdf
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03-5750-1741に電話して、ご相談してみてはいかがでしょう。
善悪を峻別する勇気を
悪を増殖させている二つの考え方
世の中では、さまざまなところで、悪の増殖している状況が見受けられますが、
その根本にあるものは何でしょうか。一つは、戦後民主主義的な多数決原理、 「大勢の意見が正しい」という考え方です。
戦後民主主義的な多数決原理
先ほどの学校の例で言えば、子供は、「クラスのなかで、大勢の人が一緒にやっていることは正しい」と考えます。「みんなで万引きをし、みんなで暴力を振るい、みんなでいじめをしているから、それは正しいことであり、その仲間から抜けると損をする」と考えるのです。
このように、多数決によって「何が正しいか」を決める考え方が一つです。
日本の伝統的な考え方である、“ムラ社会”の意識
もう一つは、日本の伝統的な考え方である、“ムラ社会”の意識です。
「みんなが同質で、仲間意識を持って同じことをしていれば正しくて、仲間から外れたことをすると悪である」という考え方です。「内容はともかく、みんなと違う意見を言ったり、違う行動を取ったりして、仲間から外れている人、グループ行動をしない人は悪なのだ」と判定する、「村八分」型の原理があります。
これが悪の増殖の原理としても現実に使われています。 (ストロング・マインド 大川隆法より)
犀の角の如く、ただ独り歩め

ちなみに私は、不登校ではありませんでしたが、友人が多い方ではありません。今では同窓会もほぼ行きません。
どちらかというと「犀の角の如く、ただ独り歩め」というタイプですが、おかげ様で毎日、多くの人にお会いできるので特に寂しいと思うことはありません。
「人それぞれにいろいろな人生があり、人生は一冊の問題集」と私は考えています。
人より苦難が多い方は、生まれてくる前に、「今世は難しい課題に挑戦して、クリアして魂の飛躍をするのだ」と決意して生まれてこられているからです。
何事かを成し遂げた人は、みな孤独の時間を持っている
ストロング・マインド 大川隆法著 より
–第3章 心の成熟について
現代では、医学的な問題として、自閉症や引きこもりなどの問題が流行っています。しかし、いろいろなレポートをいくら見ても、私には、そのような障害や
病気があるようには見えないのです。
確かに、昔で言えば「知恵遅れ」と言われるようなこと、「知能が低い」とい
うようなことは、客観的にはあるかもしれませんが、私には、どう見ても、「扱
いにくい子供がいる」と言っているようにしか思えません。
世の中には、扱いにくい子供がいます。そういう子供は手がかかるものですが、
手をかけたくないために、それを、「問題だ、問題だ」と言っているのでしょう。
例えば、学校の先生は一人で約四十人の子供を受け持っていますが、母親でも
手を焼くような子供を四十人も集めたら、言うことをきかせるのは、とても難し
いことです。先生の目には、ほとんどが問題児に見えてきて、特に言うことをき
かない子供について、「問題がある子だ」と言いたくなってくるでしょう。
引きこもりについても同様です。学者や思想家、作家になった人で、「引きこ
もった経験がない」という人は、ほとんどいないと言ってよいのです。
何事かを成し遂げた人は、みな、孤独の時間を持っています。孤独の時間のな
かを生きずに何かを成し遂げた人はいないのです。 発明家も研究家も、みな、そうです。
そういう人たちは、多少、変わったところはあるかもしれませんが、可能性の
ある人たちなのです。
あなたの愛が試されるとき
自閉症という言葉も、かなり広義に使われてきています。医者というものには、
とにかく何か病名を付けてレッテルを貼ったら、それで解決したような気持ちに
なるところがあります。
「まず病名を付けて患者を安心させ、あとは薬を出せばよい」と考えているの
でしょうが、そういう医者の言うことは、あまりまともに聴いてはいけません。
「そんなことはない。人間は、みな、仏の子、神の子であり、誰もが可能性を
持っているのだ。人間は、変わっていくことができるし、そのままでも十分に幸
福になる権利があり、幸福になることもできるのだ。ものの見方を変えることに
よって、世の中は違って見えてくるのだ」と考えることです。
手のかかる子供を授かったとしても、それが不幸だとは必ずしも言えません。
手のかかる子を持つと、確かに、お荷物のように見えるかもしれませんが、おそ
らく、その子は親に対して非常に重要なことを教えているのだと思われます。
「愛の修行」というものが課題として与えられているわけです。「あなたは、ど
の程度までの重荷に耐えられますか。その子を愛せますか。生かせますか。許せ
ますか」ということを問われているのです。
特に、許しの心が強い人であれば、病人など、この世的にはイレギュラリティ
(普通とは違う何か)が表れているような人に対して、その愛を試されている
大きいのです。
「すべての人間が、成長し、大きくなり、成熟していくことができるのだ。成
熟することによって、自分自身の罪や他人の罪など、あらゆる罪を乗り越えるこ
とができ、困難と見えしものを乗り越えていくことができるのだ」ということを
考えていただければ幸いです。